スタッフ 2023.12.06

「常識」?

「常識」?

常識とは?

みなさんは、常識と聞いてどんなイメージをもたれますか? 例えば、挨拶すること、ごみの適切な分別、列に並び順序を守ること、交通上の歩行や自動車運転のマナー、携帯電話のマナー、適切な服装等 まあ、大体こんな感じでしょうか? 感覚としては、「大人なら誰でも持っている知識、その知識に基づき、誰でも同じように考え行動すること」ですよね。 辞書などでは「一般人が持つ考え、普通の見解。社会人として当然持っているべき知識・判断力」とあります。

常識は便利なものです。例えば、どうして飛行機は飛ぶのだろう、どうして人は年月とともに老化するのだろう、どうして人は夜に眠くなり、朝になると自然に目が覚めるのだろう……いちいちこんなことを考えていたら日常生活は成り立ちませんが、「それは常識」ですぐに解決です。

ですから、「それは常識でしょう」と言われると、「はあ、そんなもんかな。みんながそう考えるならその考えが正しいのだろう」と受け入れて、それ以後の思考を停止してしまうことが多いですよね。ある意味で「常識の罠」にはまってしまいます。

でも、果たして思考停止のままでよいのでしょうか?

思考停止の危険性

有名なアインシュタイン博士は「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う。」と辛辣に批判しています。同博士の言葉によれば、ほとんどの「常識」は、個人の育った環境の中で育まれた偏見(固定概念)に過ぎないものということになります。つまり、人によって常識は違うということです。そうであれば、「常識は常に変化するもで、人や地域や会社によっても違うものだ」と捉えることはとても大切になってきます。

ところで「ONE PIECE」というアニメがあります。「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」をめぐり、幾多の海賊達が覇権を賭けて争う「大海賊時代」を描いたアニメですが、こんなセリフがあります。「この海では疑うものはむしろ頭の中にある〝常識〟の方」 海は、陸上とは違って環境変化が激しく、過酷な状況になることもしばしばあります。先に述べたセリフは、常識が通用しにくい海では、その時々の状況の変化を鋭敏に読み取り、対応していかなければならないこと、そのため自分の常識に頼りすぎると命を危険にさらしてしまうことになりかねないことを指しています。

先に述べた通り、日常生活で常識は非常に便利なものですが、先ほどの「ONE PIECE」の話からも、物事の価値基準が激動している現代では、常識にあまりにこだわり過ぎても危険だということがわかります。

常識を疑う?

例えば、天動説が常識だった当時、ガリレオは地動説を唱えました。当時の人々はガリレオを異端者だとして有罪にしました。このことは、教訓として多くの人に知られています。「多数の人が違和感なく(もしかしたら違和感があっても)受け入れていることなら、たとえ間違いであっても、正しいことになってしまう」ということです。

書籍等では「常識を疑う」ようにすすめられているのを目にすることがあります。何か特別感があってクールです。しかし、初めに述べた通り、常に常識を疑っていたなら、疲れ果ててしまいますよね。それでも、明らかな事実に基づいた常識は別として、「なんとなく」や「みんながそう言うから」と受け入れている常識があるなら、時々立ち止まって考えてみるのもいいと思います。そうすれば「常識の罠」から抜け出せるかもしれません。

また、自分が常識とするものとは違う考え(常識)に触れた際には、頭から否定するのではなく、「なぜなんだろう、この考え(常識)は、事実(もしくは真実)や証拠とは一致するだろうか。私は、事実の一部を知っているのであって、全てのことを知っているわけではない、一部の事実が全体としての真実といえるのだろうか。」と思考することはとても有益です。その先には、ひょっとすると今まで経験したことがないような、無限の広がりがあるかもしれません。

最後にもう一つ、アインシュタイン博士の言葉です。
「常識というものは世間一般に信じられているほどの根拠をもたない。」

この記事を書いた人

satouyuusaku

佐藤 勇作(さとう ゆうさく)と申します。

以前の勤務先の紹介で当社に勤務しています。
歩くのが好きです。